80件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

宮古市議会 2022-12-09 12月09日-03号

その中で、重要な石碑の保護も行っております。古くから信仰心の深い当地方において、石碑から知り得る歴史は貴重なものであり、その時代、その時々の文化や出来事を後世に伝える紛れもないあかしとなって現在に至ってきたものと考えるところでございます。 そこで、この貴重な歴史を証明する石碑について2点ほどお伺いいたします。 

宮古市議会 2022-05-16 05月16日-01号

移設工事として、石像1基、石碑3基です。 アスベスト含有建材除去工事として、田老総合事務所庁舎棟水門制御棟において除去工事を実施した上で解体工事を行います。 以上が本議案に係る工事の主な内容でございますが、議案の朗読は省略させていただきます。 12-1ページにお戻り願います。 令和4年5月16日提出、宮古市長山本正徳。 

宮古市議会 2021-09-07 09月07日-02号

現在のハザードマップには、過去の災害による甚大な被害記憶にとどめるため、東日本大震災と平成28年台風第10号での浸水実績及び姉吉石碑について、写真等を添えて掲載をいたしております。今年度作成するハザードマップには、台風や大火、津波など過去に大きな被害をもたらした各種災害歴史取り組み災害記憶風化を防止するとともに、後世に語り継いでいく災害史としての効果も高めてまいります。 

宮古市議会 2020-09-25 09月25日-05号

施設内には、市沿岸部大型地図を展示して、東日本大震災による津波浸水範囲や、震災遺構、過去の津波石碑などを紹介し、現地を直接見学していただく案内の役割も担っております。ご質問歴史資料につきましては、津波災害関係資料は、年月の経過に伴い、散逸の懸念があることから、資料の総量や保管場所などを確認し、今後も適切に保全を図る必要があるものと認識をいたしております。 

宮古市議会 2020-09-23 09月23日-03号

宮古市の石碑という資料を見ると、やはりこれも合併後のやつで全然作られていないので、その辺の取組の中にも、合併前の石碑の中には、戦争慰霊碑もちゃんと示されて数も把握されてはいるのですけれども、現在は、新たな石碑とか、そういったものを調査してどのぐらいあるかというのも、数字の把握はしておらないんでしょうか。 ○議長古舘章秀君) 藤田文化課長

花巻市議会 2019-12-10 12月10日-03号

私は花巻南インターチェンジの近くに田んぼを借りた際に、大きな石碑があるのに気がつきました。近寄ってみると、感謝、平賀千代吉翁とありました。その方の顔が掘られたプレートがついていました。横には説明書きの看板があって、読んでみると、戦前40歳ぐらいで水利組合長になった千代吉水けんかの仲裁にたびたび呼び出され、水があればけんかしなくてもよいのに、水があったら米をつくれるのにと長い間願い続けていました。

大船渡市議会 2019-09-26 09月26日-05号

防災管理室次長大浦公友君) 津波伝承施設としての建物の伝承の仕方もございますし、あとは現在各地に設置されております石碑そういったものもございます。そういったものが津波に関して申し上げれば沿岸にたくさん設置してあるものですから、そういったものも含めて施設あとはそういった石碑そういったものを網羅した津波伝承ロードというものを今、国のほうでいろいろと事業を進めております。

二戸市議会 2019-09-17 09月17日-一般質問-03号

次に、市内にはさまざまな記念碑石碑や銅像があります。その中には、長年の間に傷んだり破損しているものもあります。余り人が行かないような場所では、よいとは言いませんが、よいのですが、人が近寄るような場所では危険を伴う場合もあると思います。また、ここになぜこの石碑等があるのかわからないものもあります。その中には、二戸の歴史に大切なものや重要なものがあるかもしれません。

大船渡市議会 2019-09-11 09月11日-02号

営業活動においては、三陸沿岸道路の延伸や三陸鉄道全線開通など、交通網整備に加え、陸前高田市の東日本大震災津波伝承館の開館を初め、津波伝承施設石碑など、津波被害の実態や貴重な教訓を伝える一大回廊の形成、ことし6月に全線開通したみちのく潮風トレイル、日本一広大な三陸ジオパーク大船渡市から始まった三陸国際芸術祭、ユネスコの無形文化遺産に登録を果たした吉浜のスネカなど、完全復興に近づいている大船渡

二戸市議会 2019-06-05 06月05日-一般質問-02号

市内には、2人のモニュメント石碑等がたくさんあり、多くの市民に親しまれております。この2人のストリートをつくることで、ますます市民の誇りは高まり、自信も深まると思います。夢では飯は食えませんが、夢がなければ人は暮らせないと思います。いかがでしょうか、答弁を求めます。 敬愛する福田先生に倣って、ユーモアとペーソスにあふれる質問をしたつもりですので、市長答弁をよろしくお願いいたします。

大船渡市議会 2018-06-21 06月21日-03号

ただ、被災した時計台であるとか、そういったものを大船渡公園にあつらえるというふうなことは考えておりますし、祈念碑的なもの、あるいは石関係ですか、そういったものについては、まだ行政がやる部分地区地域のほうでやる部分と、これはまたはっきりしない部分もございますので、これから記録やら検証やらをしていく上で、それら石碑についても、一応市のほうとしてもそれらについても検討していこうという、そういったことは

陸前高田市議会 2018-06-13 06月13日-03号

こうした施設を中心としながらも、私は市内各地、各所においても、追悼施設大震災記録し、津波防災を警告するような石碑建造物などが必要と思います。かつて広田村では、明治昭和の大津波教訓から、集落ごとに「地震が来たら欲を捨てて逃げろ」や「これより下に家を建てるな」などの石碑が建てられていました。

宮古市議会 2018-06-11 06月11日-02号

さらに、文人らによる石碑もあり、かつての砂浜だった名残の資料等も存在しております。これらを集約化しながら、公園としての再整備を図ることが望まれるものでございます。 この越田山については、宮古東日本大震災地区復興まちづくり計画の中には「公園整備を図る」とあり、地域住民らはその方向で進むものと思っておりました。しかしながら、その整備避難路のみということにとどまってしまいました。

花巻市議会 2018-06-07 06月07日-03号

城跡の高台には、かつて東公園と呼ばれる市民の憩いの場があり、その一角に花巻まちづくりに貢献した194人の名前を刻んだ石碑、鶴陰碑が建っていました。その中の1人が上田市長の御先祖に当たる上田弥四郎氏です。儒者としても知られましたが、建築関係にも造詣が深く、造作文士と呼ばれたと記されております。江戸、文化年間の城の大改修工事陣頭指揮に当たったのが、この上田氏でした。

陸前高田市議会 2017-12-06 12月06日-04号

◆15番(藤倉泰治君) 地域、あるいは学校での一つ取り組みとして、以前旧広田地区では昭和明治津波の経験もあって、各地区ごと石碑が建立されていて、それを子どもたち地域方々がそこを通るときにはそれを見ながら、碑文を読んだり思い起こしながら過ごしてきたという、広田地域などでは非常に先進的な取り組み歴史的にもあったなというふうに思っておりますが、そういうことも含めて本市でも地域における、あるいは

雫石町議会 2017-09-04 09月04日-一般質問-02号

町内には多数の有形文化財石碑等があると思うが、早急な記録と調査が必要と思われる。また、優先順位をつけ、県博などの協力をいただくことも必要と思うので、有形文化財記録と保存についてどのように考えているか伺います。  次に、異常気象対策について、町長に伺います。新聞報道によれば、盛岡で8月の累積日照時間は99.4時間、平年比66.7%であるとのことです。